短足と眼鏡のゲーム雑記

その時ハマっているゲームのことを中心に短足と眼鏡が気ままに攻略してみたりどうでもいいことを言ったりします

ペットと家畜の違いについて~動物の命の考え方~

time 2017/11/30

どうもこじらです。

今回はゲーム雑記にも関わらず全く関係ない動物の命について書いていきます笑

※この記事はすべて私の価値観で書かれていて、その価値観を押し付けるつもりはありません。

sponsored link

境界線について

犬、猫はペット、豚、鳥、牛は家畜だと決めつけていませんか。そういった線引きはやめた方がいいと私は思います。犬や猫を食べる文化だってありますし、豚、鳥、牛を飼う文化だってもちろん存在します。ペットとして扱われる金魚も、大型熱帯魚を飼う人にとってはエサでしかありません。ミニブタを飼っている人が豚肉を食べていても変な人だなとは思いません。つまり、動物の種類だけで線引きを行っているのは固定観念だけで判断して、考えていないという証拠です。豚として生まれただけでなんの疑いも持たれず当たり前のように殺される豚はかわいそうです。そしてさらに、ペットとして大切に育てられている犬や猫と差別されているのはあまりにもかわいそうだと私は思います。

だけど人間は動物を殺さなくてはいけない

豚、鳥、牛がかわいそうなら殺さなければいいじゃないか」という思考になるかもしれませんが、人間は別の生き物の命を奪わなければ生きていけません。そのため、全ての動物を大切に扱わなければいけないなんて意見はただのきれいごとです。今まで水しか飲んだことがないというなら別ですが。人間は生きていく以上他の種の生き物を苦しめなければいけないんです

ペットを食えってことじゃない

ペットと家畜を分けるなってことは、じゃあペットを食えって?」という意見を言う人もいるかもしれません。しかし、そういう意味でもありません。一部の動物の一個体を大切に扱うのはまた別の話です。一部の個体を可愛がることと、ペットと家畜を種類で分けず同等に扱って欲しいという意見は別に矛盾していません。私が言いたいのはただ動物を種類で分けて考えることに違和感を感じて欲しいということです。

結局人間のエゴでしかない

あーだこーだ言っても、こういった議論は結局それぞれが持っているエゴの押し付けでしかなく、何かが変わるわけでもないです。「犬は可愛いけど豚は可愛くないから殺す」と言っている人も「豚を殺したらかわいそう」と言っている人も生きるためには生き物を殺して食べなければいけないので、前者も後者も豚を苦しめています。人にエゴを押し付けたところで価値観ががらっと変わるわけでもありません。つまり議論するだけ無駄で、私もそれは理解しています。

動物愛護団体の例

動物愛護団体というのは人間のエゴの塊です。もちろん良い側面もありますが、それだけで片付けるのは難しいです。シーシェパードを例に挙げます。彼らはクジラは賢いし食べる文化がないからクジラを食べる文化を持つ人たちに文句を言います。その反面、彼らはオーストラリアで大量に殺処分されているコアラやカンガルーは守りません。ただ、彼らはクジラが好きだから保護しようとし、コアラやカンガルーは邪魔な存在で殺すことはしょうがないと勝手な線引きをしているだけです。これって違和感を感じますよね。でも彼らの思想(営利目的の部分は除く)は間違っていません。
それぞれの価値観や文化で動物の命を判断しているだけなので、違った価値観の人が文句を言うのはお門違いです。

人は生き物を虐殺している

現代の大多数の人たちは動物の肉を食べているのに、動物を殺したことはありません。一昔前では家で鶏を飼っていて、それぞれの家庭でしめていたようですが、現代では他の人にその悲しい工程を任せています。その時点で「食べる=殺す」だという考え方が薄れています。もちろん私も動物を殺している自覚がない現代人の一人です。

家畜に名前を付け殺す教育について

小学生に家畜に名前を付けさせて殺すという過激な教育方法が存在します。確かに動物の命について考えさせるには直接的で分かりやすい教育です。でも、そんな過激な教育方法は現代では合いません。まだ小さい子供にトラウマを植え付けるのはいい教育方法ではないし、大人のエゴを子供に押し付けているだけだと私は思います。

結局理屈で理解するしかない

動物を殺している事実は現代で生活する上でどうしても忘れてしまいます。それでも、「犬は飼うもので豚は食べるもの」と考えている人と、「犬も豚も命は平等だけど生きる上でしょうがなく豚を食べている」と考えている人では全く別物だと私は思います。現代のきれいな世の中で、現代人は結局理屈で理解するしかないと私は思います。

まとめ

色々まとまらない文章を書きましたが、これが私の価値観であって、ただの私のエゴです。この文章で少しでも「家畜は可愛そうだけど殺さないといけない」、「ペットとされている動物だけ守ることへの違和感」を色んな人に分かってくれたらと思いこの文章を書くに至りました。見ていただきありがとうございました。

こじらでした

じゃ

 

sponsored link

コメント

  • こんにちは、コメント失礼します。
    ペットと家畜について検索していたら辿り着きました。両者の境界線のことをよく考えています。そこには人間、それも個々人の線引きがあるだけですよね。
    私は犬の肉と知った上で食べることはできません。それと知らずに食べたら(大袈裟ですが)発狂するかも知れません。
    でも豚や牛や鶏に対しては罪悪感もなく、薄っぺらい感謝の言葉を述べながら毎日食べています。
    それでいて豚や牛や鳥をかわいい、愛らしいとも思うし、屠殺の様子を知ったら卒倒しそうになるのです。
    ペットと定義されるものが虐殺されるニュースに憤るくせに、食べきれなかった夕飯の牛肉をゴミ箱に捨てています。
    単なる自分語りになってしまってすみません。でも同じようなことを考え心に留めておられる方がいると知って有難い気持ちになり、コメントしました。
    テレビで見た、農系の学校の話だったと思うのですが、生徒たちが牛を小さい頃から世話をして、肉牛として出荷するのを見送るプログラムがあるそうです。
    仔牛の頃から育てあげた子をトラックに載せてあげて見送る生徒たちは泣いていましたが、彼らの表情は、命に対する真摯さ敬虔さを得ているようにも感じました。
    その悲しみや痛みは本来、家畜を食べている全ての人が感じるべきものだと思うのですが……
    まとまらないコメントで申し訳ありません。良い記事を有難うございました。

    by 通りすがり €2018年8月23日 10:10 PM | 返信 |

    • コメントありがとうございます。こういった内容の記事で共感いただけるととてもうれしいです。
      家畜を殺しているのに罪悪感を一切感じていない状況については議論したところで何かが変わる訳ではないですが、議論したり考えたりすることにはたしかな意味がある気がしますよね。
      価値観を子供に教えるためにはそういったプログラムを行っていくしかないんですかね?現実を理解しつつトラウマにならない教育があったら最高ですが。

      by こじら €2018年9月2日 11:02 PM | 返信 |

down

コメントする






sponsored link